玉鏡
玉鏡は王仁三郎が信者等に語ったことをまとめた如是我聞集(「私は王仁三郎からこのように聞いた」の意)です。昭和5〜9年の機関誌『神の国』で発表されていたものを収録しています。
なお、水鏡、月鏡、玉鏡の三部作を総称して「三鏡(さんかがみ)」といいます。
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人類愛善会黒山支部(満州) 付設の文化女子師範学校 |
■神への恋愛
信仰は恋慕の心であるということはかねて霊界物語その他で示されているが、その恋慕の程度の如何に切実なるものあるかを多くの人は知らない。これを一つの理想くらいに考へているのだから駄目である。そんなものでは無い。渾身の真心を捧げて神様に溶け入るとき、それは相愛の男女の抱擁に幾十倍するか分らぬほどの心からなる幸福を享受するのである。天消地滅どころのものでは無い。実際筆や言葉では言い現すことができない底のものである。思うても見よ、相手は至純至美なる神様である。純潔なる処女を形容して天女のようだとよく人がいうが、どうしてどうして比較にも何にもなったものでは無い。現世の美と天界の美とは標準が違う。ひとたび天人、天女の相貌に接したものは、現界におけるどんな美人を見ても美男を見ても、美しいとは感じられない。それはあたかも太陽の前の電燈のようなものである。また美女の形容に、龍宮の乙姫様に金覆輪をかけたような美人などというが、天人界に比ぶれば、龍宮界の美女たちはその気品において遠く及ばないものがある。天人界は実に実に美しいものである。再び言うが、信仰の極致、神様に溶け入る時の心境は、言語に絶した至善、至美、至貴なるものである。その心境を味わわねば徹底したる信仰とは未だ言ひ得ないのである。
■太陽の黒点
今年(昭和七年)の暖かいのは太陽に黒点が出来たからだという学者があるようだが、そうではない。大地が熱しているからである。大地が熱して暖かいから、それが黒点となって太陽面に表れているのである。つまり黒点が出来たから暖かいのでなくて、暖かいから黒点が出来たのである。総てこれは大地が元である。一般に太陽が大地より非常に熱いもののように思われ、地上の熱は太陽のみから来るように思われているが、実は大地が元で熱いのである。太陽も素より熱いことは熱いが、大体元は大地から反射した熱であって、その熱が高まり過ぎて燃えているのである。太陽が大地より熱く、大地の熱は太陽のみから来るものなら、太陽に近い上の方ほど──高山ほど暖かいはずだが、事実はこれに反して大地に近い所ほど熱いのである。大地の熱はそのまままたは太陽と反射し合って空気の濃度に従って空気中に籠るのである。ゆえに空気の稀薄になる所ほど熱度は低下するのである。これは富士山のごとき高山に登ればよく判る、上へ登るほど空気が稀薄になる、それで高いほど寒くなる。要するに大地が余り暖かなのでその熱が太陽面に反射し灼熱して、ひどい所は赤色を呈して燃えているのであって、その赤い部分が黒点に見えるのである。すべて赤は黒く見えるもので、写真に赤色が黒く映って見えるのも同じ理である。
■大宇宙
大宇宙といえば、世人みな大きな世界という意味に承知しているようであるが、そうではない。宇宙は大の字の形をしているので、それで大宇宙というのである。大の字はまた人間の形である。頭があり、両手両足があり、胴がある形だ。更生館は新たに生まれたことを記念するために大の字の形に造ったのである。
艮の金神様は、そのお筆先において生神であるということを常に申されている。これは、宇宙そのものが生物であるということを申されているので、開祖様がかつて「一度大神様のお姿を拝みとうございます」と申し上げられると「そなたの姿が此方の姿であるわい」とおっしゃった。そうしてまた「本当の姿は青雲笠着て耳が隠れぬわい」とおおせられた。これは人体的に顕現せらるる場合と、御本体とを区別して申されたので、御本体すなわち大国常立尊としては宇宙とその拡がりを等しうせらるるわけである。実際、生きておられて、そのお姿すなわち大宇宙の姿も人体と同じ形である。無論人間の肉眼をもってしても、またいかなる精巧なる望遠鏡をもってしても決して見得るものではないのである。これをたとえれば、象の足にとまった蟻が決して象全体の形を見得ぬと同じことである。たとえどんな遠方に離れてこれを見てもついにその全部の姿を見得ぬであろう。毛の中に潜り込んだ蟻などは大密林に遭遇し、行けども行けども平地に出られないというふうにも思うだろう。大宇宙は生きている、大の字すなわち人の形をして生きている。頭もあれば、手も足もあれば、目もある。だがそれは人の想像に絶したものである。象の比喩でもって推理して考えて見たらよい。
■月は母体
今の学者達は何も知っていないが、その中でも天文学者が一番物を知らぬ。あの月の面に見ゆる凹凸面について、学者は噴火口の跡だなどと種々の説を主張しておるが何も分っていない。あの黒く見えておるのは星を生み出した穴の跡である。星も人間と同じく生まれた時は小さくっても、だんだんと成長するのである。月より大きな星があっても何も不思議は無い。親よりも大きな子がいくらでもあるぢやないか、それと同じ道理である。
星のうちではオリオンの三つ星が一番に生まれたので、これは月の総領である。星の母が月であって、父が太陽である。水火(いき)を合せて、つぎつぎに星を生んでいったので、それで星すなはち火水(ほし)と呼ばるるのである。
太陽系に属する星はみな月から生まれたのである。ゆえにお月様を母神といい、またミロク様ともいうのである。
月は西から出て東に廻り、右から左へと廻る。太陽は左より右に廻るのである。廻るというても、太陽と地球は傾斜運動をするだけで、お月様だけが運行しているのである。月のみに軌道があるわけである。月は三十日で地球を一周し、太陽は一日で一周する。一周といえども、傾斜運動の程度によって一周するごとく見ゆるのである。
■神示の宇宙
『霊界物語』に神示の宇宙として示してあることは、決して今日の学者に分らせむがためではない。幾百年後の智者学者のために書き残しておくのである。王仁のいう地平説は、決して偏平な方形をいうのではない。例えば餅のごとき形をいうのである。月は大地を一周するが、太陽も地球もただ傾斜運動をするだけで、同じ所を動かないものである。その傾斜にも大傾斜、中傾斜、小傾斜がある。六十年目に大傾斜するのであって、そのために気候も変化する。最近の気候の変化はラジオなどの影響ばかりではない。
月は西から出て東に廻り、一ヶ月で一周する。天体のことは傘をひろげて廻して見れば分かり易い。
■進化論
進化論のいうがごとき、人間は決して猿から進化したものではない。初めから神は、人は人、猿は猿として造られたものである。
動物が進化して人間になるということすなわち輪廻転生の理によって、動物が人間になるというのは、霊界において進化して、人間の性をもって生まるるのである。『霊界物語』の中には一国の有力者を動物化して示した所もある。
■兇党界と人間
兇党界の霊とたびたび交渉をもつと離れることが出来なくなってしまい、終いには兇霊は修行とか何とかいうて、人間を山の奥などに誘(おび)き出し、殺してしまうのが落ちである。
伏見に瀧本春海という行者があって、朝の十時頃から三時頃まで病人の祈祷などをして金を儲けるが、それが済むとその金をもって方々の飲食店に物を食べに行く。天麩羅、蕎麦、寿司、汁粉と、あらゆるものを食べて食べて儲けただけの金を使ってしまわねば止まぬので、どんなにおそくなっても、これだけの行事を済まさねば、腹中の霊が承知しないのであった。気の毒にも彼は全く兇霊の容器であつた。金を儲けさすのは、春海の肉体を使用して自分らの欲望を満足させむがためであるのだ。三十年前の話で、その時五十歳位であって、もうとうに故人となったが、兇党界の霊と交渉をもつ人へのよい戒めであると思う。
■三段の型
男嶋女嶋に艮の金神様が落ちておられたので、坤なる神島には坤の金神様が落ちておられたということになるが、北海道の別院のある芦別山にはまた艮の金神が落ちておられたといい、その坤なる喜界ヶ嶋の方には坤の金神が落ちておられたといい、何だか訳が判らないというが、これはみな真実でまた型である。綾部からいえば男嶋女嶋と神嶋、日本からいえば北海道と喜界ヶ嶋、世界からいえば日本が艮で西のエルサレムが坤である。三段の型のあることを取違いしてはならぬ。
■八岐大蛇
八岐の大蛇ということは、その当時における大豪族の意味であって、八人の大将株がいたから八岐というのじゃ。また大蛇という意味は、言霊上おそろしいの意が転訛したので、《おとろしい》とか、《おろちい》というのも同じことである。そして尾とは、八人の大将株に引率されている多数の部下の意味で、よく沢山の人が隊伍を作って行くときは、長蛇のごとしとか、長蛇の陣を作るとかいう。それが人数が多ければ多いだけ長い。ゆえに大蛇のごとくに見える。また悪い者を鬼か蛇かということがあるように、蛇の文字が使用されている。素盞嗚尊は印度のボンベイよりその八岐大蛇、すなわち大豪族の大部隊を追っかけられて、長年月を経られ、各地において小《おろち》を退治られつつ、伯耆の大山に逃げ込んで割拠していた大豪族をついに退治られた。すなわち征討されたのじゃ。また日野川というのは血の川ともいって、退治した大蛇の、あまりに大部隊であったため、川水が血の色に染まったというのでこの名称が起きた。尾八尾、谿(たに)八谷というのは、その大山地帯に、広範囲に群居したことをいうので、山の尾にも、谷々にも、一パイになっていたという意味で、その部下の数の多きを表現したものである。
■亜細亜大陸と素尊の御職掌
神典にいう葦原の国とは、スヱズ運河以東のアジア大陸をいうのである。ゆえにその神典の意味からいい、また太古の歴史からいえば日本国である。三韓のことを『根の堅洲国』ともいう。新羅、高麗、百済、ミマナ等のことであるが、これには今の蒙古あたりは全部包含されていたのである。
また出雲の国に出雲朝廷というものがあって、すべてを統治されておったのである。一体この亜細亜すなはち葦原は伊邪那美尊様が領有されていたのであって、黄泉国というのは、印度、支那、トルキスタン、太平洋中の「ム」国等の全部を総称していた。それが伊邪那美尊様がかくれ給うたのち素盞嗚尊様が継承されたのであったので、その後は亜細亜は素盞嗚尊様の知し召し給う国となったのである。素盞嗚という言霊は、世界という意味にもなる、また武勇の意味もあり、大海原という意義もあるごとく、その御神名がすでに御職掌を表している。それで素盞嗚尊様の御神業は亜細亜の大陸にある。しかしながら日の本の国が立派に確立されなくてはいけない。自分が蒙古に入ったのも、また紅卍字会と握手したのも、みな意義のあることで大神業の今後にあることを思うべきである。
『昭和』の雑誌に次のような歌を出しておいた。充分考えて見るべきである。
亜細亜とは葦原の意義あし原は 我が日の本の国名なりけり
満蒙支那神代の日本の領土なり とり返すべき時いたりつつ
大蒙古は昔の日本の領地なり 回復するは今人の義務
時は今我が国民は建国の 皇謨(こうぼ)により活動すべき秋(とき)
和光同塵政策をとりし我が国は 旗幟(きし)を鮮明にすべき時なり
■素尊の神業
一体素盞嗚尊は大国主命に日本をまかされて、御自身は朝鮮(ソシモリ)の国に天降り給い、あるいはコーカス山に降り給いて、亜細亜を平定され治められていた。もっとも大国主命が治められた国は今の滋賀県より西であって、それより東は天照大神様の治め給う地であった。ただし北海道は違う。大国主命に対して国譲りのことがあったのは、その滋賀以西を譲れとの勅命であったのである。ゆえに素盞嗚尊の神業は大亜細亜に在ることを思わねばならぬ。王仁が先年蒙古入りをなしたのも、太古の因縁によるもので、今問題になりつつある亜細亜問題というものは、自ら天運循環し来たる神業の現われであるといっても良い。
■日本武尊
日本武尊は、その御霊性は瑞(みづ)の御霊の分霊であった。そして英邁勇武にましましたため、その御徳にまつろう者が多かった。それで時の帝は尊の武勇をめでさせられて鼠賊(そぞく)征討のために全国に使いせしめられた。尊は文字通り真に席のあたたまる時なく、あるいは東に、あるいは西国へと、つぎつぎに勅命が発せられたので、まったく征討の犠牲という一生を終始されたのである。すなわち瑞の御霊の御霊性そのままの天賦的使命に終られたのである。
■亀山城
見たか見て来たか亀山の城は、西に傾く北による
という俚謡(りよう)があるが、これはこの城がついに大本すなわち綾部のものになるという神様の予言で、現在のごとく大本のものとなってしまった。西北は綾部の方面であるが、また一方に西は穴太(あなお)をさし、北は綾部をさしてもいるのである。大工の棟梁はこの謡言(ようげん)を苦に病んで、鑿(のみ)を口にくわえ濠(ほり)に飛び込んで死んでしまった。霊魂化して大鯰(おおなまず)と変じ濠主になったといい伝えられている。
明治の初年濠を干した時に、この鯰が現われたそうで、生擒りしたらその大きさ長持に一ぱいであった。珍しいと京都にもって行き見世物にしようとしたら、途中で死んでしまって目的を果たさなかった。可哀そうにこの棟梁、この謎を自分もそう誤信したのである。
亀岡はもと亀山というていたのであるが、廃藩置県の際亀岡と改称されたのである。
明智光秀は築城の名人で、ここ亀山城は天下五城の一であったから、その築城法も実際驚くべき堅固のものである。
地固めをするのにどの位念が入っておるかを王仁はその跡を掘って見て感心させられた。亀岡の某氏が城跡を買い、その石を売ってついに多額納税者にまでなったのだから、当時石はすっかり取ってしまわれて、何も無いようになっていた。あの形原(かたはら)神社にのこっている大きな屏風石は、城の潰れた記念として、何日も何日もかかって士族達があそこに引っぱっていって建てたので、世に涙石と称えられているのである。
王仁がこの城跡を買うた時は一石をもとどめぬ一面の林であったが、大正十四年の春この地を拓き、地を掘るに従って、あの巨大な石がみな出て来たのである。前の持ち主も実際案外に考えられたであらう。
光秀はこの沢山の石を法貴谷(ほうきだに)や鹿谷、太田、金岐等の山々から運んだので、諸大名の名を刻んだものが往々あることより見れば、彼の勢力は想像外に偉大であったようである。またそれを運ぶに当っては、地に竹を敷きその上を木馬に石を積んで滑らし集めたものだが、それでも重い石であると滞って動かないことも度々あったということである。すると監督の侍が《いきなり》刀を抜いて先きだつ一人を斬る。そうすると疲れ切った人夫たちは《ハッ》と緊張して、更に新たなる力をもって押す。かくのごとくにして器械もないのに、あのような大きな石が運ばれたのだ。墓石などをも勝手にもって来て埋め草とした、ずいぶん無理なこともしてある。
王仁が来てこれら諸霊をも慰め清めたので、今はこうした心地よいところとなった。昔からこの地に住むとみな崇りをうけるので、藩主松平侯さえも、外に住んで城内には、入られなかったものである。
幼(いとけ)なき頃は雲間に天守閣 白壁映えしをなつかしみけり
旧城趾おちたる瓦の片あつめ 城の形をつくりて遊びぬ
この歌は天恩郷に立つ歌碑の一つである。涙石を記念とした人々も亀山の更生を見て大層喜んでいて下さるそうである。
■男装坊の再生
月鏡、十和田湖の神秘を読んだものは誰も知っているごとく、湖の主が昇天のとき、王仁に約束した言葉がある。「再生のときは大本に生まれて参ります」と。………元来は王仁の子となって生まれるはずであったが、それが出来なかったので、八重野(やえの)が生ましてもらった和明(やすあき)がそれである。十和田の龍神の再生であるから、十和田の和をとり明は日と月で神を表わすつもりでかく命名したのである。王仁をばかり慕って、父親はそっちのけで聖師様聖師様とつけまとう。霊の因縁は不思議なものである。
編者申す、「月鏡十和田湖の神秘」には、左の通り示されてあります。
前略、かくて男装坊(なんそうぼう)は三熊野三神、別けて神素盞嗚尊の神示によって弥勒の出現を待ちつつありしが、天運ここに循環して昭和三年の秋、四山の紅葉今や錦を織らむとする頃、神素盞嗚尊の神示によりてここに瑞(みづ)の魂十和田湖畔に来り、弥勒出現の神示を宣りしより男装坊は欣喜雀躍、風雨雷鳴地震を一度に起こして徴証を示しつつ、その英霊は天に昇りたり。それより再び現界人の腹を藉りて生まれ、男性となりて弥勒神政の神業に奉仕することとはなりぬ。嗚呼神界経綸の深遠にして宏大なる到底人心小智の窺知し得る限りにあらず、畏しとも畏き次第にこそ。
惟神霊幸倍坐
■児島高徳(たかのり)
児島高徳の事蹟というものは、どうもハッキリせないので、重野博士によって抹殺の厄にあったこともある。実在の人であったことは間違いのないことであるが、外来人であったゆえに、ついに世に顧みられなかったことを感じさせられる。
■ハルナ
『霊界物語』に出ているハルナというのは、印度のボンベーのことである。言霊でいえばハルは東、ナは地である。
■「ム」大陸は黄泉島(よもつじま)
去る頃の大阪毎日新聞に、イギリス人チャーチ・ワード氏の長年の研究によって最近驚くべき太平洋の秘密が白日にさらけ出された。それは人類文明の発祥地は太平洋の真中で「ム」と名付ける大きな大陸が横たわっていたが、今から一万三千年前、六千四百万人の生命を載せたまま噴火と津浪のため海底に陥没してしまった。そしてここから伝播したのがインドの、エジプトの、マヤの、インカの文明である。……中略……ム大陸は東西五千マイル、南北三千マイル、ハワイ島が北方の、タヒチ島、マインガイア島あたりが南方の、イースター島は東方の、ラドロン島は西方の残骸なのである。……下略……とあるのは霊界物語中に示された黄泉島のことである。
第九巻総説歌に
−前略−
太平洋の真中に
縦が二千と七百浬
横が三千一百浬
黄泉の島や龍宮城
−下略−
とあるのがそれである。また第十二巻『航空船』という章には沈没の有様が書かれてある。
■惟神霊幸倍坐世
神さまの御心のまにまに霊の善くなるようお願いしますというので、神様に対する祈りの言葉である。それを祖霊の前で言うのは、祖霊に祈っているのではなくて、祖霊のために大神様に祖霊が幸はうようにと祈るのである。
■取違いの信仰
信仰は全く自由なものだ。神の道では取違いと慢心とが一番恐ろしい。取違いしていると神の目からは間違いきったことでも、自分は正しい信仰だと思って進んで行き、他からの忠言も戒めも聞かない。そして行く所まで行ってついに衝き当って鼻を打ってヤット気がつく。そして後を振り返って初めて背後の光明を見て驚き正道に立ち帰るのである。
ともかく間違っていても神から離れぬことが大切である。やがては必ず自分から気がつくことがある。間違っているからといってやたらに攻撃してもつまらない。実はみな誰でも取違いのないものはない。今日の所、まだ本当に分かったものは一人もないのだ。
王仁三郎が『霊界物語』第四巻「神示の宇宙」を校正したときの原本の一部
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