道の栞






道の栞

出口王仁三郎が明治37年に執筆し、大正7年以降に修正等を加えて発表していたものを、大正14年に単行本として出版したものです。

当時のアマテラス国家に対して、スサノオこそ真の救い主であると宣言しています。

(右)第二次大本事件で
破壊された月宮殿 


■第一巻 中


世界万物を造りたまえる神はただ独神。天之御中主之大神と称え奉る。

天之御中主の神様をつづめて天帝という。また真神という。

天帝の御光を高皇産霊の神と称えまつり、天帝の御温みを神皇産霊の神とたたえまつる。

真如(註 王仁三郎の雅号の一つ)は、世界の初まりからこの世を守りたまう八百万の諸天使の御業を、平易に簡単に説いておく。

天帝は独一の真神であるから初めもなく終りもなき尊き神である。

天帝はその尊き御身を伊都の千別に千別きて万物を造り、御力と御霊とを与えさせたまう。

天帝のお身体を別けていう時は三つに分けられる。すなわち剛と柔と流である。

(一)剛とは世の中のあらゆる堅きものを指していう。
(二)柔とは世の中のあらゆる柔かきものを指していう。
(三)流とは世の中のあらゆる水気を指していう。

天帝が一物を造りたまうにも必ず力徳によりて造りなしたまうにより、善悪相混じ美醜互いに交わりているのである。
一〇
世の中には、神はこの世になぜ善ばかりを拵えぬのかと理屈をいうものがあるが、神は大工や左官でないから指金は持ちたまわぬ、善になるも悪になるも、みな其ものの力徳である。それで誠の道に赴いて神力を享けねばならぬのである。
一一
宇宙にあるものは、霊力体この三つの大原質よりほかには一つもない。
一二
霊とはすなわち神のことである。人の霊魂もまた神の一部である。
一三
力とはすなわち運動の力である。天地の運行春夏秋冬の変化はすなわち天帝の御力である。
一四
体とはすなわち物体である。化学のいわゆる元素というもの、科学家はこれを数十元素に区別すれども、神の道では剛柔流の三大元素としてこれを解きあかす。
   この剛柔流は天帝の神体である。
一五
霊とは勇親愛智の四魂をいう、この四魂はすなわち天帝の全き霊魂である。
一六
人の霊魂もまた天帝より、この四魂を分け与えられているのである。
一七
この四魂を分け与えられていながら、その身魂を汚して悪魔に落すは、そもそも誰の罪ぞ。四魂の中の勇魂は荒魂と称え、親魂は和魂と称え、愛魂は幸魂と称え、智魂は奇魂と称うる。
一九
これみな国祖大御神の定めたまいし御教である。
二○
天帝の力は八力といって八つの力がある。これを天帝の全力という。
    一、動力
    二、静力
    三、解力
    四、凝力
    五、引力
    六、弛力
    七、合力
    八、分力
この八力をすべて天帝の全力という。
二一
この八力に古き御名あり。けだし国祖大御神の名付けたまう所の御名である。
二二
現代の化学者等、この深き事柄をわきまえ知らず、ゆえに天より瑞の霊を降して、万代朽ちぬ宝なる神の御文を解き明かさせたまう。
二三
一、動力を大戸地の神
二、静力を大戸辺の神
三、解力を宇比地根の神
四、凝力を須比地根の神
五、引力を生枠の神
六、弛力を角枠の神
七、合力を面足の神
八、分力を惶根の神という。
右八つの神はすなわち天帝の全き力である。
この八つの力に神の名を負わせたまいしは国祖大御神である、その訳柄を解き明かす役目は瑞の霊の天職である。
二四
剛体、柔体、流体の三つの体に古き御名あり。これは国祖大御神の名づけたまうところである。
二五
剛体を天之常立の神、国之常立の神。柔体を豊雲野神。流体を葦牙彦遅の神という。
右は皇祖の定められし称えである。これがすなわち天帝の全体である。この事を解き明かすは瑞の霊の天職である。



■第一巻 中

四九
古は、この世の救主として瑞の御霊速素盞鳴天使が現れたまいて、天津神、国津神許々多久の罪穢を御身独りに引受け、世界を救いたもうたのである。その有難き情の深き吾等の救主たることを知らずして、素盞鳴尊を猛悪なる天使と思うものは実に罪深き恐れ多きことである。
この神は今も厄神として人の災難を救いたまう神である。
人々の如何なる重き罪穢れも、大神の贖いによりて救わせたまう。



■第三巻 下

一三
神に二種あり。一は正神なり。一は邪神なり。
一四
正神界の神はその霊魂天帝より来る。邪神の霊は悪より起るものなり。
一五
神より出たる神はよく敬すべし。神より出でず罪より来る曲津神はこれを敬すべからず。
一六
神を信ずる者はよろしく心を落着けて、善なる神か悪なる神なるかをわきまえ知らざるべからず。悪魔なるものはつねに善の容貌をよそおいて現れ来り善き者を迷わせ苦しめんとするものなり。



■第三巻 下

一七
すべて愛なるものに五つの別あり。その一は親子の中の愛なり。親が子を愛し、子が親を愛するは、人類をはじめとして鳥獣にいたるまで然らざるはなし。動物自然の愛なり。この愛なきものは世界になし。されど今の世は末の世となれるをもって、親よりは子を愛すれども、子より親を敬い愛するものなし。鳩にも三枝の礼あり。烏に反哺の孝ありというにあらずや。子として親を敬いかつ愛せざるものは鳥獣に劣れりというべし野山の猛き獣類さえ子を愛することは知れり。
一八
その二は好むの愛なり、馬を好むがゆえに馬を愛し、女を好むがゆえに女を愛し、盆栽を好むがゆえに盆栽を愛す。すべて好むの愛は己れの好みによりて己れの心を愛するものなり、馬そのもののために愛するにあらず。女、盆栽(物)其の外すべてそのもののために愛を加うるにあらざるものはみな好むの愛なり。
一九
その三は義理の愛なり。義理の愛なるものは心の底より愛するものにあらず。継母が継子を愛するはこれ義理の愛なり。継母とて悪しき者ばかりにあらず。中には誠に心美わしくして心の底より愛するものなきにもあらず。されど継母の継子を愛するは大抵はその夫に対するために愛し、親戚に対するのために愛し、また世間へ対するために愛す。これらの類はすべて義理の愛とはいうなり。
二○
その四は偽りの愛なり。口先に愛を唱えつつ心にその愛なきものなり。偽善者なる者の口に称うる愛はすべて偽りの愛なり。また誠の愛と信じて人を助けんと思い、真の愛を誤解する人の愛は偽りの愛となることあり。心のせまき神道者またはかたくななる取次の愛は多く偽りの愛となるものなり。
二一
その五は神の愛なり。正しき美わしき愛なり。己に敵するものを愛するなり。心の曲りたる者を愛して、善に導くは神の愛なり。人をかたより見ざるなり。いかなる人も外国人も等しく愛するなり。
神は善人の田をも照し、悪人の田をも照したまうごとく、いかなる悪しき人たりとも善人と同じく愛するを神の愛というなり。神の愛は悪しき者をことさらに慈むの愛なり。



■完

二一
速素盞鳴尊は、憐れみ深き荒神にましまして、世界の人びとに代りて、天地へ罪の贖いをなしたまえり。人誤りて素盞鳴尊を罪人とするは畏れ多きことなり。世の中の人々の罪科を助けんために、天地へわが身を犠牲となしたまいしなり。後に天津神の御許しを得て、月の国にのぼり、月読尊となりたまいて、今に至るまで変ることなく世界を守らせたまえり。



■番外無題

 五
汝の心を清くして心の門を開けよ。瑞の霊はその門よりおどり入りてその清き心を宿となし限りなき勇気と親愛と智徳をあたえ、この暗き世の明りとなしたまうべし。
 六
瑞の霊天より降りたまいしは、天津神の御心によりてなり。怪しき教に迷えるものを悔い改めしめ、天地の元たる神の誠の道をあまねく世に知らしめんがためなり。
 七
この教は清き正しき人のために降したまいしにあらず。わけ知らぬ者またずぼら者、神の御心にそむけるもの、罪深き者、穢れたる者、あらゆる悪事を働ける者のために、天より降されし詔なり。盗み、偽り、驕、高ぶり、罵り、悪戯ごとを好むなぞの心を矯め直してこの土の上に天国を立てんがためなり。





昭和青年会と昭和坤生会を査閲する王仁三郎