世の中に善というものは愛より外にない。最も力の出来るもの、総て成功するものは愛と善だ。キリスト、ムハメッドは愛を説き、仏教は慈悲を説き -- これも愛だが孔子は仁、仁ということは隣人を愛するということで、仏教もキリスト教も愛を経に、善を緯に説いている -- キリスト教はそれで十字架なのだ。総ての宗教は愛を経に、善を緯に説いている。人類愛善ということは、各既成宗教および今までの道徳教の総てを一つに纏めた、まあ、言うたら抱擁したのだ、肝腎のエキスをとったような名である。仏教とかキリスト教とかは、米みたいなもので、米の中から出た酒の汁が、愛と善なのだから(『出口王仁三郎全集』二巻「神霊問答」)