型の思想

霊界と現界との関係について、王仁三郎はこう述べています。


 霊界は想念の世界であって、無限に広大なる精霊世界である。現実世界はすべて神霊世界の移写であり、また縮図である。霊界の真象をうつしたのが、現界、すなわち自然界である。ゆえに現界を称してウツシ世と言うのである。例えば一万三千尺の大富士山をわずか二寸四方位の写真にうつしたようなもので、その写真がいわゆる現界すなわちウツシ世である。写真の不二山は極めて小さいものだが、その実物は世人の知るごとく、駿、甲、武三国に


王仁三郎作「登龍」

またがった大高山であるがごとく、神霊界は到底現界人の夢想だになし得ざる広大なものである。(中略)すべて世界は霊界が主で現界すなわち形体界が従である。一切万事が霊主体従的に組織されてあるのが、宇宙の真相で大神の御経綸である。現実界より外に神霊界の儼然として存在することを知らない人がこんな説を聞いたならば定めて一笑に付して顧みないでありましょう。無限絶対無始無終の霊界の事象は、極限された現界に住む人間の智力では、到底会得することはできないでしょう。
(『霊界物語』第二一巻 総説)

つまり、主である霊界で起こることは、時間の遅速や程度の差こそあれ、従である現界に移写されてくるということです。(現界の出来事が霊界に影響を及ぼすこともあります。)これを「相応の理」といいます。
 現界すなわち自然界の万物と、霊界の万物との間には、惟神(かむながら)の順序によって、相応なるものがある。また人間の万事と天界の事物との間には動かすべからざる理法があり、またその連結によって相応なるものがある
(『霊界物語』第四八巻十章「天国の富」)
霊界と現界が相応するように、大本(おおもと)と日本、日本と世界との間も相応しています。それが「型の思想」です。

開祖出口直の筆先(神霊の命じるままに出口直が書いたもの)には「大本は世界のかがみ」と示されています。「かがみ」には、物の像を写す意味の受動的な「鏡」と、模範や雛型を出す意味の能動的な「鑑」の二種類があります。

日本や世界で起こることが大本に写るというのは、受動的な鏡です。逆に、大本の中に雛型を造り、それを日本や世界に波及させるというのは、能動的な鑑です。

驚くことに、日本列島と世界の国々が相似形になっています。


日本列島と世界の国々との比較対応図(※画像をクリックすると拡大します)
(『霊界の最高機密 最終メッセージ編』出口和明著 KKロングセラーズ)

■本州 = ユーラシア大陸
・津軽海峡 = ベーリング海峡
・津軽半島 = チュク半島
・陸奥半島 = カムチャッカ半島
・能代川 = レナ川
・牡鹿半島 = 朝鮮半島
・北上川 = 黒竜川
・石巻湾 = 黄海
・阿武隈川 = 黄河
・利根川 = 揚子江
・十和田湖 = バイカル湖
・伊豆半島 = マレー半島
・伊豆大島 = スマトラ島
・東京湾 = シャム湾
・富士山脈 = ヒマラヤ山脈
・富士川 = ガンジス川
・御前崎 = インド
・天竜川 = インダス川
・諏訪湖 = アラル海
・信濃川 = オブ川
・八郎潟 = オブ湾
・佐渡島 = ノバヤゼムリヤ島
・木曽川 = ユーフラテス川
・伊勢湾 = アラビア湾
・紀伊半島 = アラビア半島
・淡路島 = ニューギニア島
・対馬 = スピッツベルゲン島
・能登半島 = スカンジナビア半島
・神通川 = ドブイナ川
・射水川 = デューナ川
・大阪湾 = 黒海
・瀬戸内海 = 地中海
・関門海峡 = ジブラルタル海峡
・隠岐島 = イギリス
・壱岐島 = アイスランド

■北海道 = 北アメリカ
・根室湾 = ハドソン湾
・千島列島 = パーリ列島
・カムチャッカ半島 = グリーンランド

■四国 = オーストラリア
・土佐湾 = オーストラリア湾
・燵灘 = カーペンタリア湾

■九州 = アフリア
・種子島 = マダガスカル島

■台湾 = 南アメリカ
・台湾 = 南アメリカ

地理上だけでなく、大本の歴史にも型の思想が現れています。以下は代表例です。

大本第二次大本事件は昭和10年12月8日未明に始まり、昭和20年9月8日の大審院の判決で終わる。
日本第二次世界大戦の一環である太平洋戦争は、昭和16年12月8日未明に始まり、昭和26年9月8日のサンフランシスコ講和条約締結で終わる。

第二次大本事件と太平洋戦争の始めから終わりまで、ともに9年9ヵ月。6年のずれをもって、鏡のように合致しています。

大本王仁三郎が獄中にあったのは、昭和10年12月8日から保釈出所した昭和17年8月7日まで。
日本日本が外国の占領下にあったのは、連合軍先発隊が厚木飛行場に到着した昭和20年8月28日から日米講和条約発効前日の昭和26年4月27日まで。

ともに閏年が二回入って6年8ヵ月、日数にして2435日、一日たりとも狂っていません。

このように王仁三郎の人生そのものが型となっています。みろくの世(理想世界)を建設するために、大本の中で神劇を演じ、その能動的な鑑を日本や世界に波及させていったことは言うまでもありません。

戦後、鳥取県の吉岡温泉で静養中の王仁三郎は、大阪朝日新聞の取材にこう答えています。
予言的中 "火の雨が降るぞよ" 新しき神道を説く  出口王仁三郎翁

(鳥取発)
 去る十年十二月八日大本教弾圧の際検挙されてから本年九月八日解放されるまで十箇年間、沈黙していた大本教祖出口王仁三郎氏は七十五才の衰えもみせず、獄中生活でかかった軽い神経痛の保養のため、いま鳥取市外吉岡温泉で静養している。敗戦日本の冷厳な姿がどう映じたか、神道の変革や信教の自由は・・・獄中生活の思い出をまじえて語る同教祖の弁

 自分は支那事変から第二次世界大戦の終るまで囚はれの身となり、綾部の本部をはじめ全国四千にのぼった教会を全部叩きこわされてしまった。しかし信徒は教義を信じつづけて来たので、すでに大本教は再建せずして再建されている。ただこれまでのような大きな教会はどこにも建てない考えだ。
 治安維持法違反は無罪となったが、執行猶予となった不敬罪は実につまらぬことで、「御光は昔も今も変わらぬが、大内山にかかる黒雲」という浜口内閣時代の暴政をうたったものを持出し、"これはお前が天皇になるつもりで信者を煽動した不敬の歌だ" といい出し、黒雲とは浜口内閣のことだといったが、どうしても通らなかった。
 自分はただ全宇宙の統一和平を願うばかりだ。日本の今日あることはすでに幾回も予言したが、そのため弾圧をうけた。"火の雨が降るぞよ、火の雨が降るぞよ" のお告げも実際となって日本は敗けた。これからは神道の考え方が変ってくるだろう。国教としての神道がやかましくいわれているが、これは今までの解釈が間違っていたもので、民主主義でも神に変りがあるわけはない。ただほんとうの存在を忘れ、自分に都合のよい神社を偶像化してこれを国民に無理に崇拝させたことが、日本を誤らせた。殊に日本の官国幣社が神様でなく、唯の人間を祀っていることが間違いの根本だった。しかし大和民族は絶対に亡びるものでない。日本敗戦の苦しみはこれからで、年毎に困難が加はり、寅年の昭和二十五年までは駄目だ。
 いま日本は軍備はすっかりなくなったが、これは世界平和の先駆者として尊い使命が含まれている。本当の世界平和は全世界の軍備が撤廃したときにはじめて実現され、いまその時代が近づきつつある。
(昭和20年12月30日(日)  大阪朝日新聞掲載)



吉岡温泉清遊。王仁三郎はこの地で
所信を述べ世界の平和を予言した。