東の光
王仁三郎は昭和6年〜8年に11冊の歌集を刊行しました。(下表ご参照)
第五歌集の『東の光』は、大正2年〜昭和6年12月に諸機関誌に掲載された道歌や自省歌、警世歌などを収録しています。
第一歌集 | 花明山 |
第二歌集 | 彗星 |
第三歌集 | 故山の夢 |
第四歌集 | 霞の奥 |
第五歌集 | 東の光 |
第六歌集 | 霧の海 |
第七歌集 | 白童子 |
第八歌集 | 青嵐 |
第九歌集 | 公孫樹 |
第一○歌集 | 浪の音 |
第一一歌集 | 山と海 |
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箒木の同人たちと(天恩郷にて) |
■道歌(二○)
予言のみ好きな信者は兎もすれば妖言過言に脱線するなり
予言とは神の予定の示顕なり予言と確示はやく悟らへ
現し代の事業さへ全く出来ぬ身の神の御業に仕へ得べきや
……中略……
神様の御道の為めと言ひながら神松魚節の八十曲津あり
……中略……
立替を世人のことと忽思ひそ立替するは己が身魂ぞ
−大正十年二月−
■言華(一二)
瑞月が口述になる物語古今聖者の言葉も織り込む
自湧的物語とは言ひながら聖者の言は採用なしあり
現今の著述何れも東西の古今の知識採用せるのみ
参考書一つ持たねど強記せる言葉は諸所にあらはれにけり
小心な読者は酷似の文章見て剽窃などといきまくものなり
かむながら神より出づる言の葉も現世に対せば人言に同じ
古今東西賢者のつくりし名文はみな口述の材料なりけり
まだ人の夢にも知らぬ神界の奥義を漏らす霊界聖談
世の中の著者の心も天地の神にかなへば同意の文書く
一切の著述は古今東西の聖賢の書に由らざるはなし
よき言辞論旨はこれを採用し生かして使ふは学者の道なり
聖談の中に織り込む言の葉の先哲に似しは経綸のため
先哲の言葉と文書を用ゐずば社会諷刺の著述は生れず
たまさかに学者の言葉ありしとて驚く小心ものの可笑しさ
天も地も古今東西かはらぬ限り真理語れば一徹に出づ
キリストも釈迦も孔子も哲人も弥勒出世の先達なりけり
みろく神百の学者に霊懸けて持ち場持ち場を語らせ給へり
古今東西聖者の説をとりまとめ活かすはみろくの働きなりけり
世の中の総てのものは弥勒神出世のための経綸なりけり
無限なる世の物事を一人して為す間なければ先駆を遣はさる
古今東西一切のもの弥勒神出世の為めの先き走りなる
−昭和五年六月−
■言華(二九)
大本は日の本のため支那のために世界のために愛善を説く
愛善の道の光に満州のあらそひの雲晴れんとぞする
かむながら神の誠のみをしへは愛善世界の提唱なりけり
愛善の道にをらねば地の上の国の平和は来たらざるべし
……中略……
ちからなき既成宗教見かぎりてわれは世界に愛善を説く
−昭和六年十一月−
■昭和(十五)
数多き既成宗教の本源はみな愛善に出でしをさとりぬ
宗教は皆よけれども宗教家の卑しきこころに穢されてをり
宗教は時所位によりて変りをれば吾れは時代の宗教を説く
……中略……
愛善のまことの道をさとりたる外国人はわが教したへり
外国のはしばしまでも吾がをしへ愛と善とにひろまりにけり
−昭和六年十二月−
歌会の王仁三郎と明光社員
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