数運(すううん)は天運と相合す。尋仁(じんじん。壇訓による王仁三郎の道院名)は化世(かせい)の大責を負う者、必ず数運と天運の輪転に循(したが)い、以て世間諸劫(しょごう)の障(さわり)を受く也。(昭和13年2月18日、於瀋陽道院)
千二百六十日(むそか)の間月汚(けが)す六百六十六のけもの
彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。(第11章)(※「四十二か月」=「千二百六十日」。ユダヤでは一か月を三十日と計算するため) 女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。(第12章) この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。(第13章)
彼はいと高き方に敵対して語り/いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ。聖者らは彼の手に渡され/一時期、二時期、半時期がたつ。(第7章) すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。」(第12章)
あゝ吾(われ)は天地の造り主、全智全能の誠の御祖神(みおや)大国常立之大神(おほくにとこたちのおほかみ)を信ず。…(中略)…厳(いづ)の御霊(みたま)は奥津城(おくつき)に隠れ給ひ、稚姫君(わかひめぎみ)の御霊と共に天津国(あまつくに)に上りまし、地の上の総てを憐れみ恵ませ給ひ、又瑞(みづ)の御霊は千座(ちくら)の置戸(おきど)を負ひて黄泉(よみ)に下り、百二十日(ももはつか)あまり六日(むゆか)の間虐(しひた)げられ、再び甦(よみがへ)りて綾(あや)の高天原(たかあまはら)に上り。…(下略)…
王仁三郎の入獄に関して、126の数字が3年足らずの間で私の知り得たところ5回繰り返されている。まさに壇訓のいう「数運と天道の輪転に循(したがう)者」なのであろう。とくに第5の1260日間というものは、世をあげて月(大本と王仁三郎)を汚し、42ヵ月のあいだ異邦人(弾圧者)に委(ゆだ)ねられた聖なる都(大本神苑)は、蹂躙(ふみにじ)られっぱなしであった。官憲たちは土足をもって神殿を汚し、破却し、開祖の墓を二度まで暴(あば)いてはずかしめたのである。「獣また大言と涜言(けがしごと)を語る口を与えられ、42ヵ月の間……」とあるが、満天下の新聞・雑誌は連日何を語ったか。「三文の値打も無い大本教」「戦慄すべき大陰謀を企てた大本教」「竹槍十万本の陰謀団」「十人生き埋めの秘密あばかる」「伏魔殿の正体暴露」などと根も葉もない怪奇にみちた冒涜記事で恥ずかしげもなくうめたものである。それらの悪口が、なぜ42ヵ月で消えていくかは、王仁三郎が蒙古より生還し門司に入った日から世間の見方が大きく変わったからだ。これも「悪くいわれてよくなる仕組」なのであろうか。 ここで気になることは、黙示録第11章の「もし彼ら(二人の予言者)を害はんとする者あらば、必ずかくの如く殺されるべし……」の一句である。なぜならば、大本に第1次弾圧を加えた内閣の首班原敬は、本宮山神殿を毀し終わって8日目(大正10年11月4日)、東京駅頭で珍しい艮(うしとら)の一字を名に持つ青年中岡艮一(こんいち)のために刺殺された。パインタラで盧とその兵らを殺し、王仁三郎一行を機関銃の前に立たしめた張作霖は、4年後の昭和3年6月4日、京奉線爆破事件で爆死をとげた。大本に第2次弾圧を加えた岡田内閣は、3ヵ月足らずで二・二六事件のために悲惨な最後を遂げた。また大本を二度にわたって徹底的に弾圧した大日本帝国は、やがて第2次世界大戦によって崩壊する。(『予言・確言』出口和明著)
永遠の福音は、神と悪魔との戦いにおける神の唯一の戦闘武器である。したがって霊界物語の口述は悪魔最大の脅威であった。人間が神から使われていることを知ることが出来ないのと等しく、悪魔に人間が使われている場合もそれがわからない。つまり無意識的に悪魔の傀儡(かいらい)となっている場合が多いのである。大正十年に政府が大本に弾圧を加えたのも、霊界物語の口述を妨害しようと意識的にやったものではない。しかし霊界にては、現界からは見ることの出来ぬ神と悪魔の闘争があるのである。それは両者間における人間の魂(霊界物語にいう「玉」)の争奪戦であった。(『大本の出現を証すヨハネ黙示録』)