王仁三郎の予言
 王仁三郎と聖書





大本は中国の新宗教「道院」(大正10年3月18日(旧2月9日)の設立)と提携していました。

道院は「フーチ」(中国に昔から伝わる神示の方法)による壇訓(神示)に従って活動していました。


(右)モンゴルの原野を行く王仁三郎


昭和13年2月18日、奉天の瀋陽道院で、獄中の王仁三郎に次の檀訓が降りました。

数運(すううん)は天運と相合す。尋仁(じんじん。壇訓による王仁三郎の道院名)は化世(かせい)の大責を負う者、必ず数運と天運の輪転に循(したが)い、以て世間諸劫(しょごう)の障(さわり)を受く也。(昭和13年2月18日、於瀋陽道院)
大意「出口王仁三郎は世界を進化発展させる大責任を神より負わされている。ゆえに王仁三郎の肉体をもって示す数運は、天から与えられた運命として地上に実現し、世界を動かしていく。そのために、贖い主として世間のもつ劫の障害を受ける」。

確かに王仁三郎には、偶然の一致とは言い切れない数字がつきまとっています。そうした数字の中に、聖書にも現れる「1260」、「126」があります。
千二百六十日(むそか)の間月汚(けが)す六百六十六のけもの
この歌は『霊界物語』第36巻第14章の余白歌です。

「月」は王仁三郎が使っていた雅号のひとつなので、王仁三郎自身を指します。

「六百六十六のけもの」は、『新約聖書』「ヨハネの黙示録」第13章「賢い人は、獣の数字にどのような意味があるかを考えるがよい。数字は人間を指している。そして、数字は六百六十六である」から来ています。

※聖書の本文は、日本聖書協会の聖書本文検索で閲覧できます。

王仁三郎も『水鏡』「六百六十六の獣 」の中で「バイブルに六百六十六の獣という言葉があるが、それは三六(みろく)様に抵抗するということである」と述べています。

「千二百六十日」も、「ヨハネの黙示録」第11章、第12章、第13章にこうあります。
彼らは、四十二か月の間、この聖なる都を踏みにじるであろう。わたしは、自分の二人の証人に粗布をまとわせ、千二百六十日の間、預言させよう。(第11章)
(※「四十二か月」=「千二百六十日」。ユダヤでは一か月を三十日と計算するため)

女は荒れ野へ逃げ込んだ。そこには、この女が千二百六十日の間養われるように、神の用意された場所があった。(第12章)

この獣にはまた、大言と冒涜の言葉を吐く口が与えられ、四十二か月の間、活動する権威が与えられた。(第13章)
次に「126」ですが、『旧約聖書』「ダニエル書」の第7章、第12章にこうあります。
彼はいと高き方に敵対して語り/いと高き方の聖者らを悩ます。彼は時と法を変えようとたくらむ。聖者らは彼の手に渡され/一時期、二時期、半時期がたつ。(第7章)

すると、川の流れの上に立つ、あの麻の衣を着た人が、左右の手を天に差し伸べ、永遠に生きるお方によってこう誓うのが聞こえた。「一時期、二時期、そして半時期たって、聖なる民の力が全く打ち砕かれると、これらの事はすべて成就する。」(第12章)
「一時期、二時期、半時期」は、数字(12進法)で言えば「126」です。

また、王仁三郎著『賛美歌』第477にも「126」が次のように登場します。
あゝ吾(われ)は天地の造り主、全智全能の誠の御祖神(みおや)大国常立之大神(おほくにとこたちのおほかみ)を信ず。…(中略)…(いづ)の御霊(みたま)は奥津城(おくつき)に隠れ給ひ、稚姫君(わかひめぎみ)の御霊と共に天津国(あまつくに)に上りまし、地の上の総てを憐れみ恵ませ給ひ、又瑞(みづ)の御霊は千座(ちくら)の置戸(おきど)を負ひて黄泉(よみ)に下り、百二十日(ももはつか)あまり六日(むゆか)の間虐(しひた)げられ、再び甦(よみがへ)りて綾(あや)の高天原(たかあまはら)に上り。…(下略)…
興味深いことに、第一次大本事件と王仁三郎の蒙古入りに関して、「126」または「1260」という数字が頻出しています。(下表ご参照)

数字内容
126第一次大本事件で王仁三郎が大正10年2月12日に投獄され、同年6月17日に責付(せきふ)出獄するまでの獄中日数は126日間。(「ダニエル書」第7章、聖者ら(大本信徒)は126日間彼(国家権力)の手に渡された)
126王仁三郎が奉天から蒙古へ足を踏み入れた日が大正13年3月3日。パインタラで遭難し、奉天の日本総領事館に護送される7月6日まで、王仁三郎が蒙古の地に足跡を残した期間が126日間。
126王仁三郎が奉天に到着した2月15日(大正13年は閏年)からパインタラ到着前日の6月19日まで、蒙古の地に救世主の再来と仰がれ奇跡をおこなった期間が126日間。(ダニエル書第12章。王仁三郎の蒙古での活動については、『霊界物語』特別篇「入蒙記」などをご参照)
126大正13年6月21日にパインタラ(白音太拉)の地でとらわれ、11月1日に大阪刑務所を保釈出獄する前日までの獄中日数は126日間。(7月21日に奉天から護送され27日に大阪刑務所に入れられるまでの船車中の日数7日間は獄中生活ではないため除外)
1260第1回入獄の大正10年2月12日より入蒙を経て、門司へ帰着。第2回入獄の前日大正13年7月26日までの日数は1260日。(ユダヤ式に1か月30日の計算で42か月。ヨハネの黙示録第11〜13章ご参照)


上記について、出口和明氏はこう語ります。
    王仁三郎の入獄に関して、126の数字が3年足らずの間で私の知り得たところ5回繰り返されている。まさに壇訓のいう「数運と天道の輪転に循(したがう)者」なのであろう。とくに第5の1260日間というものは、世をあげて月(大本と王仁三郎)を汚し、42ヵ月のあいだ異邦人(弾圧者)に委(ゆだ)ねられた聖なる都(大本神苑)は、蹂躙(ふみにじ)られっぱなしであった。官憲たちは土足をもって神殿を汚し、破却し、開祖の墓を二度まで暴(あば)いてはずかしめたのである。「獣また大言と涜言(けがしごと)を語る口を与えられ、42ヵ月の間……」とあるが、満天下の新聞・雑誌は連日何を語ったか。「三文の値打も無い大本教」「戦慄すべき大陰謀を企てた大本教」「竹槍十万本の陰謀団」「十人生き埋めの秘密あばかる」「伏魔殿の正体暴露」などと根も葉もない怪奇にみちた冒涜記事で恥ずかしげもなくうめたものである。それらの悪口が、なぜ42ヵ月で消えていくかは、王仁三郎が蒙古より生還し門司に入った日から世間の見方が大きく変わったからだ。これも「悪くいわれてよくなる仕組」なのであろうか。
    ここで気になることは、黙示録第11章の「もし彼ら(二人の予言者)を害はんとする者あらば、必ずかくの如く殺されるべし……」の一句である。なぜならば、大本に第1次弾圧を加えた内閣の首班原敬は、本宮山神殿を毀し終わって8日目(大正10年11月4日)、東京駅頭で珍しい艮(うしとら)の一字を名に持つ青年中岡艮一(こんいち)のために刺殺された。パインタラで盧とその兵らを殺し、王仁三郎一行を機関銃の前に立たしめた張作霖は、4年後の昭和3年6月4日、京奉線爆破事件で爆死をとげた。大本に第2次弾圧を加えた岡田内閣は、3ヵ月足らずで二・二六事件のために悲惨な最後を遂げた。また大本を二度にわたって徹底的に弾圧した大日本帝国は、やがて第2次世界大戦によって崩壊する。
(『予言・確言』出口和明著)
ご参考までに、『大本の出現を証すヨハネ黙示録』(大道幸一郎著 八幡書店)をご紹介します。

大道氏は京都府綾部のクリスチャンでした。大本信者の友人を通じて大本文献に触れ、ヨハネの黙示録が大本の出現を預言していることに気づきます。

大道氏の見解は、まだまだ検証の余地はありますが、両者の一致の多さを考えますと、等閑視すべきでもないように思われます。(下表ご参照)


ヨハネの黙示録の預言と大本の歴史との対照表


章節記述記述解説日付
1章
1〜7節、8〜20節
挨拶、黙示録の由来

2〜3章
全部
7つの教会へ書を贈る世界信仰史の預言警告キリスト昇天後の信仰史
4章
全部
審判宝座の光景

5章
全部
七つの封印を解く者、ヨハネ泣く聖師の出現、開祖事判ける身魂の待望明治25〜32年
(1892〜99)
6章
1〜8節
第1封印〜第4封印近世史の預言警告17世紀〜第2次大戦
6章
9〜12節
7章
全部
第5封印(数の満ちるまで)、身魂の審判国祖の身魂調査大正11年
(1922)
6章
12〜17節
第6封印第2次世界大戦昭和14〜20年
(1939〜45)
8章
1〜12節
3〜5節
嵐の前の静けさ、現世界(体的)の十字架第2次大本事件昭和10年
(1935)
8章
6〜13節
9章
1〜21節
第1ラッパ〜第6ラッパ第2次世界大戦の内容昭和14〜20年
(1939〜45)
10章
全部
神の奥義の開示大本開祖の預言警告明治25〜大正9年
(1892〜1920)
11章
1〜6節
2人の証人と預言開祖と聖師の出現開祖明治25年、聖師明治32年
(1892、1899)
11章
5節
聖なる都の蹂躙第1次大本事件大正10年
(1921)
11章
15節
第7のラッパ

12章
5節
女男子を産む永遠の福音(霊界物語)大正10〜昭和9年
(1921〜34)
12章
1〜16節
女産の苦難1260日間聖師養われる大正10〜14年
(1921〜25)
12章
13〜15節
悪魔女を責める聖師蒙古入り大正13年
(1924)
12章
7〜12節
天界の悪魔掃討国祖天界の立替大正11年
(1922)
12章
16節
地は女を助ける(期間)大本の発展時代昭和2〜9年
(1927〜34)
13章
全部
悪魔の性格
14章
1〜17節
永遠の福音宣布霊界物語の口述大正10〜昭和9年
(1921〜34)
14章
8〜21節
最後の警告

17章悪魔の性格詳解第13章の解説


特筆すべき点は、王仁三郎の『霊界物語』を「永遠の福音」と位置づけていることです。
 永遠の福音は、神と悪魔との戦いにおける神の唯一の戦闘武器である。したがって霊界物語の口述は悪魔最大の脅威であった。人間が神から使われていることを知ることが出来ないのと等しく、悪魔に人間が使われている場合もそれがわからない。つまり無意識的に悪魔の傀儡(かいらい)となっている場合が多いのである。大正十年に政府が大本に弾圧を加えたのも、霊界物語の口述を妨害しようと意識的にやったものではない。しかし霊界にては、現界からは見ることの出来ぬ神と悪魔の闘争があるのである。それは両者間における人間の魂(霊界物語にいう「玉」)の争奪戦であった。
(『大本の出現を証すヨハネ黙示録』)
紙幅の関係で詳しく述べることはできませんが、興味のある方は、ぜひご一読ください。




逮捕され足かせをはめられた王仁三郎(左から2人目。パインタラ公署前にて)
左から3人目は、王仁三郎の高弟の一人で、後に合気道を創始する植芝盛平